情熱 1.夕立





※preface※

いつだって
ぎりぎりだった

私はあなたのものではなく
あなたは私のものではなく
まして
私さえも私のものではなく

ただ
偶然に
生れ落ちて
出逢った

ただそれだけで

なにものも
だれも
縛ることなどできず
縛られることもない

だからこそ

時に揺らぎ
迷う

それは
だれかを想い始めた時から

ずっと------





 いつものこと。
 そう言い聞かせる。
 だけど。
 まただ・・・・・・。

 また、連絡が途絶えた。

 どうして?
 どうして、待つことしか、できないの?

 本当に、私はこのままでいいの?

 いつだって、言うことは同じなのね。

 『元気か?』

 『まだ帰れない』





 そんなこと------。
 
 そんなことを、聞きたいんじゃない。
 そんなことを、知りたいんじゃない。

 ちっとも、わかってなんかいないじゃない------。




 私はただ、あなたがこの空のどこかで、今日も生きてるって証がほしいだけなのに------。




 もう・・。
 いいよ・・。

 もう、いいよ・・・・・・。
 




 なんとなく、気がついてはいた。
 時々、夜に声を忍ばせるように泣いているのを知っている。
 けれども、そういうふうでもなく。
 なにか、ひどくあきらめのついたような、
 そんなけだるさを、蘭の様子から読み取っていた。
 それとなく話でもしようと蘭の部屋に入ったコナンは、”異変”を目にして内心の動揺を抑えきれなくなりそうなほどだった。

 「ら・・蘭姉ちゃん・・。どうしたの、机の・・」
 言葉が、続かなかった。

 振り返った蘭は、いつもと同じように------少なくとも表向きは------優しく微笑んでいった。
 「ああ・・。写真?」
 「う、うん。どうして・・?」
 また。
 言葉が途切れた。
 


 いつも机の上に飾られていた、あの日のふたりの写真。
 その写真たてが、今は、伏せられているのだ。


 「いつも目に入ると、ちょっとつらいから・・」
 切ない微笑。

 今までと、明らかに違う。
 今までは、その写真を支えにしてきたのではなかったのか------。

 それが、苦痛になった・・・・・・?



 コナンは、自分が恐れていることを、今、この場で口にするべきかどうか、自分のなかで闘っていた。

 もしも、考えているとおりだとしたら・・・・・・?
 もしも、目の前にいる蘭が、はっきりと、
 「Yes」
 と答えたら・・・・・・?



 「蘭姉ちゃん・・。もしかして、もう・・新一兄ちゃんのこと・・・・・・」
 声が、震えそうなのを、必死に抑えた。

 蘭は、ゆっくりと首を横に振った。
 「ううん・・。そうじゃないのよ。でも・・そうだね・・。ずっと待ってると・・。どうして待っているのか、とか・・嫌いになったんじゃないけど、いつから、どうして好きだったのか・・とか・・。いろいろ、あやふやになってきた気がして・・。どうしてだろうね?でも・・たぶん、ちょっと、疲れた・・かな・・?」
 迷いの色を滲ませて、言葉を選びながら、蘭は答えた。
 「疲れ・・た・・?」
 その危うい答えに、コナンはやはり動揺し続けていた。
 蘭は少し哀しそうに笑った。
 「だってね、コナン君。私は神サマじゃないもの。なにひとつ疑わないで、ほんの一瞬も迷わないで、信じ続けることなんて・・・・・・できないよ・・」
 「・・・・・・!」
 「それでも・・やっぱり答えなんて出ないの・・。ただ、最近、なんだか出口の見えないトンネルの中にいるような、そんな気がして・・」
 そこまで言って、蘭ははっとしたように表情を変えた。
 「やだ・・私ったら。コナン君に、こんなこと言ったって、コナン君、困るよね・・?ごめんね?・・気にしないでね・・?」
 また、いつものように微笑んで。

 だけど、

 「・・気にしないでね?」

 なんて。

 そんなこと、できるわけがない。

 いったい、どうしたというのだろうか?

 コナンは、精一杯子どもらしい表情を保ちながら、ひどい焦燥感に襲われていた。



 今すぐ。
 今すぐ、”あの声”で話さなければ------。





 電話のベルが鳴る。

 どうして?
 いつものように、心が弾まない。
 あの、期待と不安の入り混じったドキドキした気持ち。
 どうして?
 今日は・・・・・・。


 「・・はい・・。もしもし・・?」
 『・・蘭?元気か?』
 新一・・・・・・。
 目を伏せる。
 耳を澄ます。
 でも・・・・・・。
 いつものように、怒れない。
 いつものように、返せない。
 しばらく沈黙を守っていたら、不審そうな声が耳に届いた。
 『・・どうした・・?蘭・・』
 心の奥底で叫んでいる何か。
 悲鳴をあげている何か。
 ずっと隠していた・・
 何か・・・・・・。

 「・・新一・・もう・・もう、いいよ・・無理しなくても・・」
 『・・・・・・!?』
 受話器の向こうで、新一はきっと息を飲んだのだろう。
 『いいって・・何がだよ・・?』
 連絡が途切れるたび、ベルが鳴る。
 しばらく間があくと、思い出したように声を聴かせてくれる。
 まだ帰れもしないのに。
 それでもそうやって連絡しようとするのは、何のため?
 ねえ。
 もしもあなたが、それを・・。
 しなければならない事だと思っているなら。
 義務のように感じていたなら・・・・・・。
 
 「・・まだ、こっちに帰れないんでしょう?だったら・・無理しなくていいよ・・。そんな、埋め合わせみたいなこと・・もう、しなくてもいいよ・・」
 泣きそうだった。
 ずっと、言ってはいけないと思ってきた。
 ううん。
 それどころか、
 自分でも、そんなふうに考えている自分がいることさえ、時々は忘れていたのに・・・・・・。
 『・・な・・どういうことだよ!?』
 いつもと違う、張り詰めた声が聴こえる。
 「・・無理に、連絡をくれなくても、いいよ・・。だから・・。本当に、帰れるようになったら、知らせてね・・?それまでは・・もう・・っ。電話、しないで・・・・・・!」
 はちきれそう。
 この想いごと、全部、はちきれそうな気がした。
 
 返事を聞かずに、受話器を置く。
 その間際、新一の必死な声が、小さく聴こえたけれど・・。
 もう一度、声を聴いたら、この決心が鈍ってしまいそうで。

 受話器を、置いた。

 こうすることがほんとによかったのかどうかなんて、わからない。
 ただ。
 電話をくれるたび、いつのまにかそれは、喜びとは裏腹に、恐れをも抱くようになっていた。
 ”安心”をくれるはずの連絡が、
 ”まだ帰れない”という証拠のような気がして。

 それなら、いっそ。
 そう思ったけれど、なにひとつ、確かめなかった。

 新一の、気持ちを------。



 「・・そうだ・・。買い物・・してこなくちゃ・・」
 ふいに思い出したそれに、現実に引き戻された。

 そういえば、コナン君は、いつのまにどこかへいってしまったのだろう?
 なるべく早く、帰ってこなければ・・。
 そう思いながら、まだ半分は物思いにふけったまま、蘭は買い物に出かけた。





 眼の前が、暗くなる。
 どうしてこんなことになったのだろう?
 いったい、蘭はどうしてしまったのか・・・・・・。
 コナンは、いつもなら考えられないくらい、思考がストップしてしている自分を自覚していながら、それをどうすることもできずにいた。
 ただ、感じたことは。
 自分でもわかっていたつもりだったのに、やはりそれはつもりでしかなかったと言うこと。
 考えていたよりずっと、蘭は追い詰められていたことを、今ごろ知ることになるとは・・・・・・。
 思えばずっと、甘えてきたのかもしれない。
 どうしようもない事情とはいえ、何の保証もないのに、待っていてくれることを、いつのまにか当たり前のように考えてはいなかったか・・・・・・。



 どうすればいい?
 電話越しの声では、埒があかない。
 どうすれば------!



 胸を締め付けられるような想いでいたコナンの耳に、突如として激しい雨音が聴こえた。
 はじめて、いつのまにか激しい雨が窓を打ち付けていることに気がついた。
 
 そういえば。
 今日は、哀しいくらい、晴れていた。
 自分がちっぽけだと言うことを思い知らされるような、大きな入道雲を見た。


 ------夕立か・・・・・・。

 家に残された蘭のメモ書きをひとめ見て、コナンは傘を手に飛び出していった。

 あんな不安定な状態のまま、ひとりで外に出た蘭が心配だった。
 何より、傘を持っていかなかったようなのだ。





 「・・蘭姉ちゃん・・・・・・!!」

 よく行くスーパーの前で、買い物袋を手にして、雨に濡れるのもかまわず立ち尽くしている蘭を見つけて、コナンはバシャバシャと音を立てながら、小さな足で必死に駆け寄った。
 「蘭姉ちゃん!・・すっごく濡れてるよ!?早くおうちに帰ろう・・!」
 ぎゅっと蘭の手を握った。
 「・・コナン君・・。ごめんね、来てくれたんだ・・。夕立だね・・。おさまるまで、待ってようかと思ったんだけど・・」
 蘭を見つけたとき、立ち尽くしているその姿は、確かに呆然としていた。
 けれど、コナンの顔を見るなり、それを奥へと引っ込めるようにして話した。
 通り過ぎるまで待つ気なら、どうして中で待っていなかった?
 蘭は、濡れていた。
 それも、かなり・・・・・・。

 「雨・・。ひどい雨だね・・。でも・・・・・・」

 降り続ける雨と、空を見上げて、つぶやいた言葉にコナンは振り向いた。
 「らんね・・・・・・」

 


 
 言いかけたその言葉を飲み込んで、凝視した。

 コナンは蘭の頬に、確かにそれを見つけた。





 それは、
 突然の雨にほとんどかき消されてしまった、
 涙の跡------。






tcn...

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