ふるさと 2.愛に気づいたとき





 無我夢中で走っていたら、気がついたときには自分がどこにいるのかさえもつかめなくなっていた。
 こんなとき、自分の方向音痴のひどさが悲しいくらい情けない・・。

 息が、切れる。

 ------。

 どこを見回しても、新一の姿は影も形もなかった。

 バカなこと、するんじゃなかった・・・・・・。

 いくら考えたって、もう時は戻らない。
 私は見覚えのない街に置き去りにされた迷子のような気がして、心細くてその場にしゃがみこんだ。
 休日の街を行き交う幸せそうな、たくさんの"ふたり"。
 ついさっきまで、自分もそんな一人だったことが、今はまるで遠い日のことのようだった。

 だって・・・・・・。
 不安だったんだもの。
 それに。

 心のどこかで、期待していた。
 どんなにはぐれたって。
 たとえどこで見失ったって。
 探してくれるはず------って。

 うぬぼれてた・・かな・・。

 涙が出た。
 あんまり情けなくって、笑ってしまった。

 寒い・・。
 ふと空を見ると、今にも雨が降りそうな表情をしていた。
 今ごろになって、天気予報、あたったみたい・・。
 今日、起きてみたらあまりに予報と違っていたからつい傘を持ってこなかったことを思い出した。

 やがて、ポツリ、ポツリと雨は降り始めて、少しずつ、雨足は強まっていった。

 冷たい・・。

 「しんいち・・・・・・」

 声に出したって、来ないことはわかってる。
 でも・・、
 でも・・。
 哀しくて、寂しくて、呼ばずにはいられなかった。



 「・・・・・・?」
 ふいに、雨の冷たい感覚が消えて。
 そして、頭上から、気遣わしげな、声が聴こえた。
 それは、ひどく、待ち焦がれているものに似ていた。

 「大丈夫?風邪引くよ?」

 見上げると、傘を差し出している男の人。

 ・・・・・・!?

 反射的に立ち上がって、私は口走ってしまった。
 「しんい・・っ」

 でも、最後まで言葉にできなかった。
 違ったから・・だ。

 「あ・・の・・?」
 少なからず戸惑いを覚えて、私は言葉が出てこない。
 そんな私を安心させるかのように、"彼"はいたずら好きな少年みたいな顔で笑って見せた。



 "彼"は黒羽快斗といった。私や新一と同じ、高校2年生だという。
 ちょっと軽いというか、人好きがして、女の子には慣れていそうなそぶりなのに、それがわずらわしく感じない、不思議な人だった。
 「どこか行くところなら、途中まで送るよ」
 という彼の言葉に。
 新一とはぐれてしまった今となっては、行く当てなどないのだけれど、どう言い訳したらいいかもわからなかったから、
 「近くのスーパーに行くところだった」
 なんて、どう見てもスーパーに行く程度の格好ではないのに、見え透いたうそをついてしまった。
 それでも彼は、別にそれ以上突っ込むこともなく、なんでもない話をしながら歩いていた。
 もっとも。
 私は半分以上上の空だった。
 新一のことはやっぱり気にかかっていたし、
 もしも。
 もしも、万が一、こんなところを見られたらと思うと落ち着かなくて、どこでもいいから早くきりをつけて一人にならなくてはいけない・・、
 そう・・思っていた。
 それなのに。

 「あ・・。ここで、いいです。ほんとに、わざわざ、どうもありがとう」
 別に見知っている店ではないけれど、適当にスーパーの前で立ち止まると、私は切り出した。
 「どういたしまして」
 ほっとした。
 なんとなく。
 隣で歩いていると、心の奥にいつもしまっている気持ちを引き出されそうな気になったのは、どうしてだろう・・。
 軽く別れの挨拶を交し合うと、彼は踵を返した。
 踵を・・返して・・少しずつ・・遠ざかって・・・・・・。

 ・・・・・・!!

 どうしてだか・・。
 グラリ、と視界が揺れた。
 足が、ガクガクと震えて。

 心の奥で、叫び声がした。

 イカナイデ。
 モウニドト、オイテイカナイデ------!

 新一が、行ってしまう。
 また、ひとりになってしまう・・・・・・!
 フラッシュバック?
 それとも、
 デジャヴュ?
 奇妙な錯覚に囚われて、私は叫んでいた。

 「------待って・・・・・・!!」

 自分の声にハッと我に帰る。
 「あ・・・・・・?」
 私・・・・・・今、何を・・・・・・?

 けれど。
 ゆっくりと振り返った彼の表情は、私の予想を裏切って。

 まるで、呼び止められることを知っていたかのように、悠然と微笑んでいた------。



 雨足は、また少し、強まっているように見えた。

 どうして・・・・・・。
 呼び止めたりしたのだろう。
 それより。
 どうして。
 この人は、呼び止められると知っていたのだろう?
 チラリ、と横顔に視線を向けて、すぐにそらした。
 最初に一目見たときに思ったけれど。
 黒羽くんは、似ている。
 新一に・・似ている。
 だから。
 こんな哀しいとき、似ている顔を見せられるのは、とても辛かった。
 そのくせ。
 行くあてもなく、街を歩いて、訊かれもしないのに、まるで何かに導かれるように、私は一緒に来ていた人・・と、自分からはぐれてしまったいきさつを話してしまった。

 一通り話し終えた後、黒羽くんはポツリ、と一言だけつぶやいた。

 「ストライキ・・か」

 「・・え?」
 聞き返した私に、彼はケロッとして答えた。
 「だってそうだろ?いつもため込んでばっかりだから、ストライキ起こしちまったんだよ」
 「・・ベツに、ため込んでなんか・・」
 そう言いかけると、ニヤッと笑って、
 「ほら、そうやって」
 と返す。
 「あ・・・・・・」
 ため込んでいる、つもりはなかった。
 ただ・・そうすることが、新一のため・・そう思ってきた。

 「いつもいつもそうしてるから、知らないうちにたまってたんだよ、きっと。だけど、たとえば風船みたいにどんどん膨らんでって・・そしたら、いつか・・」
 BANG!
 「・・ってね」
 と、黒羽くんは手でピストルを撃つ真似をして見せた。
 「そんなこと、ないってば」
 思わず反論したけれど、
 「あれ?破裂寸前に見えたけど?」
 しれっとしたものだった。

 「・・信じなきゃ」
 えっ・・。
 ぴくっと反応すると、彼はもう一度、言った。
 「・・信じなきゃ、始まらないんだぜ」
 「・・し・・信じてるわよ、新一のこと・・っと」
 ついうっかり名前が口から飛び出して、ちょっと紅くなってしまった。
 黒羽くんはただクスッと笑った後、
 「オレが言ってるのは、もちろん相手もだけど・・」
 あ・・・・・・。
 そう・・か・・。
 ”自分”のことも、信じなきゃ、いけない。
 新一を、好きだと思っている、自分の気持ちを・・。
 でも・・やっぱり・・。
 そんなにすぐには、変われない。
 ああ、まただ。
 錯覚を起こしてしまいそうになる。
 そう言えば、新一とこんな風に並んで歩いていたのは、まだ、同じ今日・・なんだ・・。
 こうしていると、まるで自分から逃げ出したあの時より前に戻っているみたい・・。
 そんな風に、私が再び迷いと錯覚にさいなまれそうになっていたとき。



 「・・・・・・!」
 あ・・・・・・、手・・・・・・!
 彼が、包むように私の手を握ったのだ。
 最初は、とにかく動揺したけれど。
 ふと、ひとつのシーンが蘇った。

 『ほら。はぐれるなよ』

 新一の、手のぬくもりを、心のなかで感じる。
 ずっとずっと、当たり前のように感じてきた、いちばん安心できるぬくもり・・・・・・。

 ち・・がう・・・・・・。

 同じくらい、温かいのに。
 ぬくもりが・・
 温度が・・。
 違う・・・・・・。

 そんな・・当たり前のことに・・どうして・・今まで・・・・・・。
 涙があふれた。
 当たり前のぬくもりの、
 その愛おしさに。
 胸が痛んだ。

 逢いたい------。
 大好きな人に、
 どうしても逢いたくて、胸が詰まる。

 横を向くと、黒羽くんが少し笑っていた。

 「わかった?」

 瞳が、そう言っていた。

 涙を溜めたまま、コクン・・と深く頷いたら。
 静かに------手を離してくれた。

 ああ。
 一本取られちゃったな・・。

 つと。
 と立ち止まって。
 黒羽くんが傘を閉じた。
 「あっ・・」
 「・・止んだみたいだな」
 いつの間に・・。
 雲間から、少し光が見えていた。
 まるでそれは、私のこころのようで・・。

 不思議なひと。
 まるで、天気まであなたが操っていたみたいね。

 でも・・。

 心が軽くなった私は、自分にしかわからないくらいの、小さな笑みをこぼした。

 「もう、大丈夫ですから。ほんとうにありがとう・・それと、ごめんなさい、愚痴ばっかりきいてもらって」
 「お役に立てて光栄デス。・・そうだ・・。泣き顔は、いちばん好きな人以外には、見せるもんじゃないよ?」

 もう。
 最後まで少しおどけた感じで済ませる気らしい。

 別れ際。
 今度は彼が私を引き留めた。
 「・・?」
 それでもまだ、彼は少しからかうように、小声で言った。
 「・・手、握ったこと、内緒にしといてね」
 ああ。なんだ、そんなこと。
 苦笑してしまう。
 「バレたらなにされるか・・」
 ・・?
 ぼそっとつぶやいた言葉の意味はよくわからなかったけれど、最後にひとつだけ、言っておきたいことがあった。
 「安心して下さい」
 にっこり笑ってそう言った後、私はこう付け足した。
 「あ・・そうそう。それを言うならそちらこそ。バレないようにがんばってね」
 「ば・・っ!彼女じゃねーよっ」
 「あれっ?彼女なんて言ってないのに・・やっぱりいるのね」
 ぷっ・・。
 女のカンで、なんとなく、素敵な人がいそうだな・・って思ったから、カマをかけただけなのに。
 黒羽くんは面白いように紅くなった。

 やられっぱなしだったんだもの。
 最後くらい、逆の立場も楽しい・・なんて、ちょっと意地悪かもね・・。



 気がつくと、こころに羽が生えていた。
 今なら、どこへでも行けるような気がした。
 どんな想いも、あのひとに伝えられる・・。
 そんな気がした。

 幼かった恋。
 閉じこめていた恋。
 私は光射す空を見上げながら、
 初めてもうひとつの、大切な想いを感じていた。



 新一、アイシテル。

 愛してる------。






tcn...

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