理由





 空を見上げると、こんなにも安心することを知った。
 同じ空を見ていられると信じることだけで、心が温かくなることを------。





 「・・東京?またあ?」
 半ばあきれたような友人の声に、和葉は事も無げに頷いてみせる。
 「何で引き止めへんかったん?」
 「・・そんなん・・。できるわけないやん。平次は探偵なんやし」
 くいっと友人から視線をそらしながら、なおも表情を保ったまま答える。
 「けど・・あんたら、やっと付き合うようになったんと違うの?」
 
 確かに、やっと昇格したことはした。
 けれども、だからと言って、引き止めることはできない。
 それに、これと言って変わったようなことはなにもないのだ。
 はじめから、変わる必要などないと結論を出してはいたものの、こんなふうに問われてしまうと、やっぱり迷いが生じてしまう。

 やっぱり・・。
 こんなんで、ええんやろか・・・・・・。

 ため息をついて、和葉は頬杖をついた。



 休み時間になると、和葉は教室の窓から空を見上げていた。
 平次は東京にいる。
 どうしてこうも身軽にそんな遠くに行ってしまうのかと思ってしまうけれど、
 「事件が呼んでいる」
 とか何とか言われると、返す言葉も見つからない。
 
 いつか何かの本で読んだのだったか・・。
 記憶は確かではないけれど、
 ひとりになりたがる人は、いつも誰かと一緒にいられる人なのだそうだ。

 確かにそうかもしれへんなあ・・・・・・。

 別に、平次と一回は離れたほうがええ・・やなんて、思たことはないけど、

 なんでやろう・・・・・・?

 こうして、そばにいてへんときのほうが、いつにも増して、想いが大きくなるような気がする・・・・・・。

 頼れるのは、自分の心の中にいる平次だけ。
 それだからこそ、自分のなかの想いに、すがり付いてしまいたくなる。

 そばにいないと、寂しくて、寂しくて。
 けれど、そばにいないと、どんなに大切な存在か、わかっているつもりでも、さらに思い知らされてしまう。

 平次は・・・・・・。

 きっと推理に夢中で、アタシのことなんか、ぜんぜん思い出す隙もないんやろな・・・・・・。

 そう思うと、自分が平次を想うより、平次は自分のことを想っていないのではないかと言う不安に苛まれて、それがまた哀しい。
 
 今回東京に行くときも、事件にけりがついたら連絡すると言ってくれていたけれど、要するに用がないときには連絡する気もないのだろうか?
 推理に集中していれば、無理もないことだけれど、こちらから電話などするのは迷惑だろうと考えれば、待つしかない。
 そして、毎日連絡がないまま夜を迎えて、
 
 今日もまだ事件片付けへんねんな・・・・・・。

 と、自分ひとりで納得するしかない。

 そして、決まって思い浮かべるのは

 蘭ちゃんは、ずっと長いこと、こんな思いを・・。もっと、つらい思いをしてたんやなぁ・・。

 アタシには、到底・・・・・・。
 こんなん、耐えられへん・・・・・・。


 だいたい。
 付き合うことになっても、そのきっかけのときも、思えば自分は好きといったのに、平次は好きという言葉を口にしていなかったではないか・・・・。
 気持ちは言葉だけではない。
 そういうのは似合わないタイプ。
 そう思っているし、そう信じてはいるけれど、こうしてひとりでいると、なかなかプラスには考えにくくて、その夜も、和葉は真夜中まで寝付くことができずにいた。





 ------そうや・・。明日のお弁当の下ごしらえでもしようかな・・。

 ふと思い立って、和葉は真夜中、ひとり、台所に立った。
 けれど、ぼんやり考え事をしながらというのと、眠れないせいで頭の芯が疲れているのだろうか、


 「・・・・・・っつ!」

 途中で指に傷を作ってしまった。

 (はあ〜・・。なにやってるんやろ、アタシ・・・・・・)

 そんなにたいしたことのない切り傷ではあったけれど、その傷を見つめていると、皆が寝静まった真夜中に、ひとりこうして起きていることがひどく心細くて、なんだか惨めな気持ちが押し寄せてくる。



 今夜はひどく冷える。
 ひょっとして、雪でも降るのではないかと、思えるほど。

 なぜか押し寄せる寂しさの中で思い浮かぶのはやはり一人しかいなくて。

 平次・・・・・・。

 声が・・。
 声が、聴きたい・・・・。

 平次の、声が------。



                ※※※※※※



 「いやー、やっと大詰めだね。明日にもけりがつきそうだ。君たちのおかげだよ」
 東京のとある店で、高木刑事が上機嫌でそう言った。
 上司から離れていることもあって、どこか、この店で羽を伸ばしているようにも見受けられる。
 「服部くんも、長い間、悪かったね・・助かったよ!」
 伺うように、高木刑事が平次のほうに向き直ると、
 「いやー、それほどでも・・」
 ケラケラと笑う平次を、新一は横目で見つつ、
 「すぐ調子に乗る・・」
 とつぶやく。
 「なに言うてんねん・・。ここは東京やから、散々工藤に花持たせたったやないか・・」
 そんな平次の反論に、依然新一はジト目の視線を送るのみだった。
 「さてと・・。蘭にメールでも打っとくかな・・。服部、オメーはいいのかよ?和葉ちゃんに連絡しなくても」
 「ああ・・。かまへん、かまへん。事件が片付いたら連絡するいうてきたし、明日でええわ・・」
 あくまでものんきな構えの平次に、新一は苦笑しながら、
 「オメーあとで和葉ちゃんに怒られても知らねえぞ・・?」
 と忠告する。

 新一がメールを打ち始めたとき、ふいに平次の携帯が鳴った。

 発信元を確認して、しばし固まってしまった平次を見て、鋭い新一はもとより、傍らの高木刑事にもその相手が平次にとってどういう人であるかを察知させてしまった。

 「・・オレ・・ちょっと出るわ・・」
 そそくさと立ち上がる平次に目をやって、新一が、
 「うわさをすれば、なんとやら・・だな・・」
 と小さく言うと、
 「やかましいわっ!」
 と間髪をいれず平次は返してくるものの、その表情に、新一も高木刑事も笑いをこらえずにはいられなかった。





 心なしか顔が赤くなる。
 二人の意味ありげな視線から逃れて店を出ると、平次はようやく話し始めた。
 「どないしたんや、和葉」
 聴こえてくる電話越しの声は、なぜかいつもの勢いがなかった。
 『なあ、まだ推理中やった?』
 「ん?もうほとんど終わってるで」
 そう言うと、もう少し言葉を続けようとしていた平次をさえぎって、すかさず突っ込まれる。
 『終わってるて・・!平次、終わったら連絡する、言うたやん!!』
 「せやから話はよう聞けや。ほとんどて言うてるやろが・・。けど、明日にはちゃんと片つくし、そしたらお前にも電話しよう、思てたんや」
 
 ほんまにぃ・・?
 そんなことを言いたげな顔をしているのだろうと思うと、なんとなく笑みを浮かべてしまう。
 「・・それより、ほんまにどないしたんや、こんな時間に・・」
 途端にまた勢いをなくして、どうやら言葉に詰まっているらしいことがわかる。
 何かよくないことでもあったのかと、少しの緊張さえ感じる。
 平次は頭を働かせてみるものの、こんな時間に急な用でもない限り、電話など考えられなかったから、さっぱり理由は思い当たらなかった。



 『・・指・・切ってしもてん』

 やがてポツリとつぶやかれた言葉に、思わず平次は素っ頓狂な声をあげそうになる。
 「はぁ?指切ったぁ?・・なんやそれ」
 
 べつに、そやから、なに、いうこともないんやけど。
 明日のお弁当の準備してたら、ちょっと切り傷つくってもうたんよ。
 け、けど。
 べつに、そやから、なに、いうことも、ないん・・やけど・・。

 ああ、その・・推理行き詰まってる誰かさんに、ちょっと渇でも入れたろかなー・・て。



 ポツリポツリと零れる言葉たちはたわいもなく、それでもどこか、いつもとは違って少し所在なげな雰囲気に、

 どこが渇入れたるやねん。

 そんなふうに苦笑しながらも、平次は黙って和葉の話に耳を傾けていた。
 それでも口から滑り出る言葉は呆れるほど相変わらずのもので、
 「あほやなぁ、お前。何ボケっとしてんねん」
 などと言ってしまう。
 きっとすぐに拗ねてしまうに違いない。
 慌てているのを悟られたくはないけれど、

 「・・ちゃんと手当てしておけや」

 ともかくこれだけは忘れずに言葉にした。



 平次の最後の言葉に、少しドキリとする。
 つい、
 わかってるて。
 そう言いそうになった口をつぐんで、部屋の窓をそっと開けてみた。
 「あ・・なあ平次。なんかこっち、雪降ってる」
 電話の向こうから意外そうな声が聴こえてきた。
 「降ってるいうても、粉雪やけど・・。今日めっちゃ冷えてたから・・。東京は降ってへんの?」

 雪ィ?
 そないなもん、降ってへんで?

 こちらで雪が降るなんて、ほんとうに珍しいことだった。
 前に雪を見たのは、一体いつのことだったか。
 そんなことを考えていると、ふと、和葉は遠い昔のことを思い出した。
 「そういうたら、昔、まだアタシらがちっちゃかったころ、晩に急に雪降ってきたことあったの、平次覚えてる?」
 『あ・・?んー・・そない言うたら・・そんなこともあったような気ィするけどな・・』

 もう。
 やっぱり覚えてへんねんなあ。

 小さく笑うと、和葉は冷気にもかまわず、そっと窓から少しだけ手を差し出してみた。
 はらはらと舞う粉雪の感触が気持ちいい。
 「あの時、一晩寝たらいっぱい積もってるかもしれへんて思て、すごい楽しみにしてたのに、朝目ぇ覚ましたら、晴れてて、全然雪の跡も残ってへんかったから、アタシがっかりしたん、覚えてるわ・・」
 懐かしむようにゆっくりと話していると、そのときのことが鮮やかに思い出されてくる。
 つられて平次も思い出したらしく、
 「ああ、そうや、あったなぁ、そんなこと。そや、それであん時、雪がないーいうてお前びーびー泣きよってからに・・。慰めんの大変やったんやで」
 面白そうに話す平次の言葉に、和葉はぼっと顔を赤らめる。
 お姉さん役を買って出ていた自分だったけれど、あの時はとても哀しくて残念で、なぜだかぼろぼろと涙が出た。
 今思い出すとひどく気恥ずかしいけれど、そういえばあのときばかりは平次に慰めてもらった記憶がある。
 自分で振った話題なのに、思いがけないことまで向こうの記憶にも残っていたことがなにやら恥かしい。
 それ以上に、覚えていてくれたことは嬉しいものの、そんなことは口にできるはずもなく・・。

 「な・・なにいうてんの。平次かって悔しがってたやんか」

 強がり意地っ張りはいつもの治らない癖。

 「それより、今度は積もるかなぁ・・」
 『アホ、そっちが積もってしもたら、オレが帰られへんやろが」
 慌てた声に少し笑って、いつもの調子で返してみる。
 「ええやん、たまには。工藤君の助手でもしてきたら?」

 減らず口は百も承知。
 もっと素直になれるのはいつの日になるのか、少しもわからないけれど、
 幼なじみから少し進んでも、変わり映えのなさに不安なこともある。
 それでも、たとえばこんなふうにやり取りできるのがいちばんいいのかもしれないと思う自分もいて。

 いつもと同じように振舞いながら、和葉は言いようのない寂しさが消えていくのを感じていた。

 ほんまは。
 はよ帰ってきてや。
 けど、これは平次にはまだ言われへん。

 指の切り傷はほんまに大したことない。
 ほんまは。
 ただ、声が聴きたかった。
 それだけやなんて・・恥かしいから、言われへん・・。






FIN.

祝!大阪ダブルミステリー放映記念!
(・・って。遅すぎだってば)
えと。とにもかくにも平和ですv
単独の作品としては、なんと初の平和小説となりました。
なんか和葉ちゃんが妙にしおらしいのは・・わたしがゆるゆるな書き手だからに他ならず・・。
平ちゃんも和葉ちゃんも偽者200%ですが(汗)、楽しんでいただけたら嬉しいですv






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