情熱 3.朝焼け





 雨はいつか上がる。

 自分にうそは、つけない。

 あきらめが悪いといわれても。

 たったひとつ。

 ただ、

 好きだから――――――。





 ――――――コンコン。

 ドアをノックする音に、蘭はぴくりと反応して、
 「あっ・・。どうぞ?」
 そう口にしながら、あわてて”それ”を机の引き出しにしまった。
 けれど、幸か不幸かしまいかけた”それ”を、
 コナンはばっちり目にしてしまった。

 もっとも、”それ”が何かまでは見えるはずもなく、ただの紙か何かにしか見えなかったけれど・・。

 「・・・・・・?」

 不思議そうにそちらを見るコナンの視線を受け止めて、蘭はぎこちなく笑って見せた。
 「・・なあに?」
 そうたずねられると、あからさまに問い掛けるわけにもいかず、こちらもぎこちなく返してしまう。
 「な、なんでもないよっ」
 慌てて手を振ってみた。

 コナンと蘭。
 ふたりのこのぎこちなさは、そのまま、あの電話以来の新一と蘭のぎこちなさだった。

 それは、すれ違うぎこちなさから、もう一度、もう一歩歩み寄り始めているぎこちなさへと変わっていることに、無自覚なまま・・。



 ふう・・。
 もしかして、見られちゃったかな・・。
 恥かしいよ、もし見られていたら。
 やっと、自分で答えを出して、決心したことなのに・・・・・・。



 なんだったんだ・・?
 あの紙・・。
 蘭のヤツ、やけに慌ててたけど、
 そんなに隠さなきゃいけないものなのか・・・・・・?





 凝視する。
 何度も何度も読み返して。
 おかしくないか、確かめて。
 そうして、ついさっき、やっと封を閉じたばかりのそれを、蘭は凝視した。
 瞳に、静かな決意の色を浮かべて。

 「いちかばちか・・賭ける――――――」

 それは、新一への手紙。
 特別に伝えたい言葉なんて見つからなかった。
 気の利いた言葉なんて書けなかった。

 それでも、なぜだか無性に、手紙を出したくなったのだ。
 ひとり、自分の思いだけを頼りに便箋に向かうと、なぜか心が落ち着いた。
 張り詰めた糸のような、ぎりぎりの情熱が、すうっと穏やかになっていったのを感じた。

 今まで、こんな風に、自分の想いを整理して、向き合ってみようと思う、
 そんな余裕すら、見失っていたのかもしれない・・。

 そんなことを考えながら、ちょっと照れくさいけど、素直に、他愛もないこと、思いつくままペンを走らせた。



 切手は貼らず、直接家のポストへ。
 郵便物も、電話も、考えてみれば博士が何くれとなく整理なんかは引き受けてくれているはずなのだし、博士に手渡しに行ってもよかった。
 けれど、なんとなく。
 蘭は新一の家へと足を向けた。
 それは、ごく自然に。

 今日は、この家にいない。
 たぶん、
 明日もこの家にはいない。

 彼は・・。

 それでも、あえて、ここに届けようと思ったのは・・
 どうしてだったのだろう――――――。










 手紙を出してから、早くも2週間ほどが過ぎていた。
 あの日以来、思いつめていた表情は徐々に心から明るい色を取り戻しつつあるようで、
 学校でも、
 「蘭、何かいいことでもあったの?」
 などと、園子に不思議がられるほど、吹っ切れた様子を見せていた。
 それはおそらく、自分の想いに、もう一度自信をもてるようになったから。
 そんな蘭がこのところ気にかけているのは、なんとなくコナンの様子がおかしいことだった。
 普段から、妙に子どもらしくないところもあるし、とても落ち着いていて、たとえ何かに悩んでいたとしてもそれをみせるようなことはしないように思える少年。
 それが、最近は何かとそわそわしているように見えるのは、蘭の思い過ごしなのだろうか。
 帰り道、いつもこちらを気遣っていて、自分からは何かを打ち明けそうもない少年の顔を思い浮かべながら、蘭は考えていた。

 それとなく聞き出してみたほうがいいかも・・。





 いつものように、郵便物を確認する。
 その束を手にして家に入ると、まだ誰も帰宅していないのがわかった。
 「お父さんてば・・また麻雀・・?」

 コナン君は・・?
 博士のところにでもいるのかしら?
 少年探偵団の面々と一緒なのかもしれない・・。

 「・・・・・・」

 話でもしようかと思っていたけれど、なんだか、拍子抜けのような気持ちになる。
 「まあ、いいかな・・。夕飯の後でも・・」
 一息ついて、手にしていた郵便物を整理する。

 お父さんへの、依頼らしいのが・・3通・・。
 電話料金の請求書・・。
 それから・・。
 ダイレクトメールも結構多くて、困ってしまう。


 最後の一通は。
 「あ・・私宛・・」
 切手が貼られていないそれを見つめて、怪訝そうに蘭は首をかしげた。
 それよりも、気になったのは、

 『毛利 蘭様』
 と書かれた文字。

 その文字に、奇妙な緊張感を抱いてしまうのは、どうして――――――?

 ゆっくり、その封筒を裏返してみて、

 ピシッと一瞬の衝撃が体を駆け抜けて、そのまま動けなくなってしまった。



 差出人の名前は、

 『工藤新一』――――――。



 「・・し・・しんいち・・・・・・!?」

 信じられない気持ちで、差出人の名前を見つめ続ける。
 そうだ。
 この、奇妙な緊張感は・・。
 知っている字だったからなのだ・・・・・・。

 慌てて封を切り、中の便箋を取り出して、はたと蘭は動きを止めた。

 新一から・・返事が届くわけ、ないじゃない・・・・・・。

 でも、この文字は、確かに・・・・・・。

 なかなか便箋を開くことができないまま、蘭の心臓は早鐘のようになっていた。

 ぎゅう・・と一度、便箋を握り締めて。
 恐る恐る、丁寧に三つ折にされた便箋を開いた。
 新一だ・・。

 ほんとうに・・。

 どうして?
 いつのまに受け取ったの?

 いつのまに・・。
 届に来たの――――――。

 想いがあふれてくる。

 紛れもない、その文字に、
 心がほぐれて、周りの空気が優しくなっていくようだった。

 一文字も見逃すまいと、丁寧に、丁寧に、読んでいく。

 自分が出した手紙がそうであるのと同じで、この手紙も決して長いものではないけれど、

 どうしてだろう?

 なにひとつ、どうして帰ってこられないか、なんて、この手紙からはわからないのに。

 今まででいちばんの安心が、心に届いた。   
 




 ああ。
 きっと。
 ”これ”だったのだ。
 自分がずっと、待ち望んでいた、
 その答え――――――。

 帰れない理由を無理に聞き出したいわけじゃなかった。
 それよりも、なによりも、
 ほしかったのは――――――。


 「・・ありがと・・新一・・・・・・」

 声が、かすれた。

 まだ書き手のぬくもりさえ伝わってきそうなその文字を、ゆっくりと指でなぞってみた。

 ふと、思う。
 それは、ひどく簡単なことで。
 あまりにも、近くにあって、単純すぎる答えだから、
 そんなこと、思いもよらなかったけれど。

 あきらめが悪いといわれても。
 未練がましいといわれても。

 好きだから。
 忘れたくはない、人だから。

 だから・・。

 「忘れたくなければ・・忘れなくても・・いいんだよね・・きっと」

 そう言って、蘭はふんわりと微笑んだ。

 あまりにも離れている気がして、
  遠くに感じて。
 忘れたほうがいいのだろうか・・
 そう迷うたび、胸が締め付けられた。

 「忘れたい」
 そう思っているうちはきっと、本当は忘れたくなんかないのに。

 「いつでも・・ここにいる・・」

 つぶやいて、蘭は手紙を胸に押し当てた。





 


 オレの気持ちは、届いただろうか?
 そんな想いを抱きながら、
 もう何度も読み返した、そう長くない手紙を、
 コナンはもう一度読み返していた。

 なぜだか、これを読んで、少しわかった気がした。
 きっと、望んでいるのは、言い訳がましい言葉ではなく。
 繰り返される、同じ言葉ではなく。

 ただ、単純に。
 今日も生きているということ・・・・・・。

 返事を書くべきかどうか、散々迷って。
 それでも、結局はペンをとった。

 取り立てて、何かを書いたわけではない。
 たわいもないことを、綴った。

 きっと、それでよかったのかもしれない。
 飾らない言葉は、思うよりずっと、大きな安心になるから・・・・・・。










 待つことは、時にあてどもなく。
 果てしがなく。
 疲れるときがある。
 でも・・。
 待っているひとのことを想うと。

 必要とされてるって思えて、ちょっと、ほっとするんだよ。

 あなたは、 
 こんなふうに、ささやかな幸福を、くれていること、知っていましたか?





 待たせていることは、時に重く。
 果てしがなく。
 ひどく焦ってしまう。
 でも・・。
 待ってくれているひとがいると想うと。

 どうしようもなく弱気になったとしても、前に進める気がするんだ。

 君は、
 こんなふうに、ささやかな勇気を、くれていること、知っていましたか?










 今日もまた、いつものように朝がくる。
 誰の心にも、きっと、朝焼けが見えるはず。

 一途な、ぎりぎりの情熱は、
 切なくて。
 切なくて。

 でも、
 今日もやっぱりあなたを想っているって、感じさせてくれる――――――。






FIN.






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