Nameless





 瞳を閉じると、思い浮かぶ。
 そういえば。

 あの、哀しくて、切なかったバレンタイン。
 眠っている間に、勝手に食べられてしまったチョコレート。

 今年はあなたの瞳を見つめて。
 そうして・・。
 手渡すことができるのだと思っていたけれど。

 どうして。
 どうしていつも、素直にはなれなくて。
 たわいもないことで、意地を張ってしまうんだろう?


 そうしてわたしは。
 ほんの少し、ずるい自分を後ろめたく感じながら。
 ここに立っている――――――。










 バレンタインの帝丹高校では今更言うまでもなく、新一にチョコを渡そうとする女の子たちが多数いて、それも久々に戻ってきてめぐってきたバレンタイン。
 幼なじみの頃からすでに夫婦呼ばわりされていた蘭ととうとう付き合い始めたことは周知の事実とはいえ、女の子を無下にはできない新一だから、きっと受け取ってくれるに違いないと考える女子も多かった。

 そんなことくらい、蘭にも予想はできていて。
 たくさんのチョコを抱えている姿だって、今にはじまったことではないし、そんなことで機嫌を損ねるはずがない。
 そう、自分でも思っていたのに。

 実際のところ、新一はご丁寧に女の子たちの列を断っていて、ここでもまたクラス中から冷やかされて、恥かしい反面、なんともいえず、嬉しい気持ちが蘭の中に生まれたものの、一方では断られながらもなお続く女子の列になんとなく胸のモヤモヤが晴れない。

 わかっている。
 いつだってそうだったのだ。
 新一は肝心なときにクールになりきれない。



 「新一・・みんなに優しすぎるんだから・・」
 誰にも気づかれないような小さな声を、ざわつく教室でこぼしてしまった。
 いい意味でも、悪い意味でも、強さと優しさを持っている新一を好きだと思う。
 けれど・・。

 彼はいつも、みんなを傷つけたくはないと思って背負い込む。
 それが、なんとなく歯がゆく感じられて、損ねるはずもなかった機嫌は、思いがけず急降下していった。





 クラスの冷やかしから逃れるように、部室に用があるからと放課後ひとりで教室を出た蘭は、廊下に出たところで教室の中から新一がまたクラスメイトから何やかやといわれているのを耳にしていた。

 「あーっ旦那が振られたー!」
 「っるせーな!オメーらいいかげんにしろよ・・」

 ぽうっと顔が赤くなった。
 どうしていつもクラスメイトのみんなは自分たちを旦那だの奥さんだのと冷やかしてくるのか・・。
 嫌でもないけれど、やっぱり戻ろうかと思った決心が鈍る。
 しばらくドアと背中あわせを続けた後、

 こんな風だから、いつも素直になれないんだよね・・。

 そう思いながらも、結局は教室に戻ることなく、家路に着いた。

 部室に用があるだなんて。
 今日はそんな用事は一つもない。
 うそは苦手で、めったなことではつけないし、それが新一になら、なおさらだけれど、こんな風に小さなやきもちを妬いてしまう自分が恥かしくて、知られたくない・・。

 かばんの中のチョコがやけに重く感じられた。
 今年こそは何の迷いもなく渡せるはず。

 だったのに――――――。





 ドサっと無造作に置かれたかばんの音が少し寂しげに響いた。

 やっぱり・・。
 ただの自惚れ、だったのか・・・・・・?

 今までのバレンタインデーなら、たくさんのチョコを手に帰っていた新一だったけれど、今日はなんとも身軽な朝ととなんら変わらぬ姿で帰宅をした。
 それは、新一の考えている通りだった。
 ただひとつの目算は合わないけれど。

 あの切なかったバレンタイン。
 勝手に食べてしまったチョコレート。

 そりゃ、確認もせずに勝手に食べたけれど。
 蘭は電話で、とっておきの店のチョコ、と言っていて。
 その声は少し嬉しそうだった。

 オレがもらっても・・よかったんだよな?


 なのに今年は?

 ろくに言葉も交わさず、途切れずやってくる女子をいちいち断っているうちに蘭は用があるからとひとりで帰ってしまった。

 なんとなくの勘。
 用なんて・・あったのか?

 何の根拠もなかったけれど、もらえる・・と思っていた。
 なんと言っても、新一と蘭はようやく付き合うようになっていたのだから。

 新一はうなるように考え込んだ。

 なんかオレ・・蘭の気に触るようなこと、したっけ・・・・・・?
 それとも。
 そもそも、もらえると思っていたのは勝手な自惚れ、思い込みだったのか?


 どんなにチョコを差し出されても、蘭とこんなことになっては気分は一向に晴れなかった。





 「もう・・。お父さんたら、また・・。」
 つけっぱなしになったままの事務所のテレビを消すと、蘭はひとつ深く息をついた。
 窓を開けると、凍えるような冷気。

 今夜は特によく冷える。
 なぜだか自然と胸の当たりをかきむしりたいような気持ちになって、一度蘭は目を瞑った。

 チョコは渡せていない。
 自分以外誰もいない事務所の時計の音が耳につく。

 目をやると、時計の針は10時を回っていた。



 「蘭っ!?オメーこんな時間にどこ行く気だ!」

 「ちょっとコンビニ行ってきます!」

 背中に聞こえた驚いたような父親の声に、とっさに出た言葉。

 ああ。
 またうそついちゃった・・。

 心の中で手を合わせた。
 ごめんなさい、お父さん。

 だけど。
 つまらない意地。
 ただ恥かしいだけで。
 後悔はしたくなかった。





 新一の家の前で、そっとコートのポケットの中を探った。
 カシャリ。

 ほとんど無意識のうちに突っ込んできてしまったその感触を確かめて、蘭は少し困惑した。

 きゅうっと胸が少し痛んだ。
 夜とはいえ、新一のこと。
 まだ10時を過ぎたところだから、起きていてもちっともおかしくはなかった。
 なのに、呼び鈴を押せない自分がいる。
 後悔したくはないと思って、また小さなうそをついてまで走ってきたのに・・。


 すっとポケットから手を出して、その手に握られている合鍵を凝視した。

 使う必要なんてない。
 今日は・・新一はここにいるはずなのだから。
 目の前のチャイムさえ押せばいいはずなのだから。

 それに・・。

 蘭は首を横に振って、鍵をポケットにしまいこんだ。

 使えないよ・・・・・・。 
 


 瞳を閉じると、思い浮かぶ。

 あの、切なかったバレンタイン・・。

 こんな自分はきっとずるいのだと思う。
 そう思いながら。
 蘭は手にしていた紙袋からチョコを取り出すと、ラッピングされたリボンの間に挟んでいたメッセージカードを抜き取って、ポストの中にそっと入れた。





 朝の光に目を瞬いて、新一はぐっと背伸びをした。
 昨夜は結局よく眠れなかったし、読みかけの推理小説を確か手に取ったはずだったのに、続きがどうだったか、少しも覚えていなかった。
 眠れなかったせいで、珍しくずいぶん早くに目が覚めてしまった新一は、気晴らしにでもなるかと外に出てみて、ふとポストが目にとまった。

 明らかに、中に何かが入っているのがわかる。
 昨夜は一応郵便物を確認したはずだった。
 それに、少し見え隠れしているそれは、どうみても封筒の類ではなさそうだった。



 「・・・・・・?」
 綺麗にラッピングされた小さな箱に、しばし首を傾げた。
 誰からとも。
 誰宛とも。

 どこにもそれを示すようなものはなかった。

 けれど、手に取った瞬間、すっとこころに何かが届いたような気がして、新一は小さく笑みをこぼした。



 用なんてあるのか?
 そう思ったのに、結局尋ねにも行けなかった自分。
 いつも、いちばん想いを伝えたい相手にいちばん素直になれない自分に苦笑して。

 よく晴れた冬空を見上げた。

 「・・迎えに行くか」



 素直になれなくて。
 意地を張って。
 だけど、どっちからでもいいのなら。

 
 そっとふたりのための一歩を、踏み出して・・・・・・。






FIN.

2002 valentine






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