抱きしめて





 きっと今年も、忘れているんだろうな。
 わたしは、覚えているからね?

 あなたが隣にいてくれてよかった。
 わたしが隣にいることができてよかった。

 わたしでいいと。
 そういってくれて、ありがとう。

 もうすぐ。
 わたしの大切な人の、記念日。





 今日からはもう5月。
 ゴールデンウィークも間近で、心もどこか浮き立つようだ。
 蘭は大事そうにひとつ紙袋を下げて帰宅すると、それをそっと自室に置いて、しばらくその袋を見つめていた。
 このごろは気温もぐっと高くなる日が続いていて、さすがにクローゼットの中身もすっかり入れ替えてしまいたくなる。
 蘭は先に小五郎の部屋を整理した後、自室も少しだけと思いながら掃除をはじめると、これがなかなか止められない。
 遅い時間にはじめる掃除はどうして止められなくなるのだろう・・と思いながら、蘭はクローゼットの中身を確認する。

 「・・あ・・・・・・」

 小さく声をあげる。
 奥のほうにきちんとかしこまってそこにあるものを見つけて、蘭は懐かしむように目を細めた。
 
 それは、今もクローゼットに残る、「コナン」が着ていた服だった。

 「・・コナン・・君・・・・・・」

 そっとつぶやく。
 そうすると、まざまざと思い出がよみがえることを知っていて。
 蘭は小さなその服を抱きしめて。
 瞳を閉じて、少しの間だけ。
 想いにふけっていた・・・・・。





 2日の放課後、新一と蘭はふたりで下校していたが、それにしても、ほんの数日とはいえ、連休の訪れという喜びには変わりはなく、ホームルーム終了後の教室の騒がしかったこと。
 当り障りのない話を続けていたけれど、ふいに新一が、
 「ゴールデンウィークか・・。けど、外にわざわざでるのもな・・。どうせどこも人でいっぱいだろ?」
 と問い掛けるので、
 「そりゃあ・・。当たり前でしょ」
 と相槌を打つものの、蘭は心なしかそわそわしている。
 探偵である新一に気づかれない自信はない。
 けれど・・。
 「せっかくの連休なんだし、のんびりしねーか?」
 振り向いた新一の笑顔に、蘭は、トクン!と胸が高鳴る。
 当たり前のように、休日を一緒に過ごそうと誘ってくれることへの嬉しさで、心がいっぱいになっていく。
 「うん・・。そうだね。家でゆっくりするのもいいかな。・・そうだ、ねえ、新一」
 「うん?」
 「それじゃ、久しぶりにうちにきて・・?」
 予想外の蘭の誘いに、一瞬新一は動きを止めて。
 きょとんと蘭を見返すその表情は、ごく普通の高校生のものだった。
 言葉にせず、不思議そうな表情を浮かべる新一に、何も問い詰められてもいないのに、蘭はその視線にどぎまぎして。
 「あ・・えと。・・ほら!いつも、新一の家におじゃましてばっかりだし・・たまには、ね・・?」
 と上ずった声を出す。
 「・・?おじゃまっ・・て。オレしかいねーんだから、別に今更気を使うことなんて、ないだろ?」
 そうだけど。
 たまには、あの家で。
 
 あの家で、過ごしてみたかった。

 複雑な気持ちのまま、思い返す。
 つい昨日、抱きしめた小さなシャツのにおい。
 大切な人のためにと選んだシャツと、同じ色で驚いた。

 特別な理由は、ないと思いたがる自分。
 今も、あの小さなナイトの思い出が、家のそこかしこに詰まっていることは、新一にとってどう思われるか見当もつかなくて、蘭は問い掛けたこともなかったけれど・・。

 結局。
 何とか蘭が新一を説得したのは、
 4日は蘭の家に新一がくるということ。
 われながら、大切な人の誕生日なのに、自分の願いを聞き届けてもらうなんて少し矛盾していると、そう思いながら・・。

 そして新一は。
 蘭が思い浮かべている一番のことだけは見抜けず。
 けれど、自分を通り越えた何かに懐かしい視線を感じる、その理由だけはくっきりと見て取っていた。



 ふと思う。
 自分にとっての、あの日々の意味。
 時々は、いやというほどわかっていた。
 蘭はときどき、新一と、「アイツ」を分けて考えているときがあるということ。
 無理もない。
 「アイツ」は一緒に住んでいたのだから。

 そういえば。
 と、新一はどうしてか落ち着かない心のまま、ベッドの上に仰向けになって目を閉じた。
 もとの姿に戻ってからの、これまでの日々。
 蘭が夕飯作りや掃除など、何かと世話を焼いてくれて、この家に訪れることは多くなっていたけれど。
 そういえば、もちろん蘭をあの自宅前まで送ることは日常茶飯事であっても、改めて蘭の家に行くのは。
 あの、3階まで行くことは・・。
 はっきりいって、なかったといってよかった。
 大体、蘭の帰宅する時間には小五郎のいることも多かったし、そうそう自宅前で長く立ち話もできない。
 まして、家に上がりこむなど。
 できるわけがないと思っていたから。

 4日。
 そうだ、おっちゃんは?
 
 小五郎は、新一が家にくることを、よしとしたのか、ふと不安がよぎる。
 それにしても、新一はどうしてもわからないことがひとつだけあった。
 4日という日付に、なんとなく、蘭は特別な響きを持たせていた。

 なんか・・約束でもしてたか・・・・・?

 髪をくしゃりとする。
 それでなくてもどうにも落ち着かないのに、どうしても解けないもの。
 仮にも日本警察の救世主と呼ばれる新一が、こんな些細なことで頭を悩ますのは。
 瞼の裏に、蘭の微笑が浮かぶ。
 いつもはやってくる蘭を迎える新一。
 けれど今度は逆なのだ。
 そう思うだけで、なんとなく落ち着かなかった。

 
 4日。
 自分らしくないと思いながら、どこか照れたような、落ち着きのないまま玄関を開けると。
 まるで鏡を見るように。
 同じように、少しそわそわと、照れたように、それでも、極上の笑みを浮かべて。
 蘭が家の前で立っていた・・・・・・。 



 川沿いの道を歩く。
 ふたり、どちらともなく、遠回りの道を選んだ。
 それほど離れているわけではないふたりの家。
 それはずいぶんと、遠回り。

 さすがに連休中とあって、多くの人はもっと遠出をしているのか、ふたりの歩く道はさして人が多くはない。
 あえて人ごみを避けた休日に、ふたりの穏やかなときは過ぎていく。
 ここでも、まるでいつもと変わらない会話が繰り返されて。
 
 ――――――やっぱり。今年も忘れてる・・。

 毎度のことながら。
 新一は自分の誕生日を忘れている。
 そのことを今年も確信して、蘭はひとり、そっと苦笑したのだった。

 どちらからともなく、指を絡ませた。
 空の先を見上げて、蘭は心の中で祈っていた。

 当たり前の幸せを。
 当たり前だと思わないように。

 ひとつひとつのときは、いつでもきらめいていることを。
 けして忘れないようにと。

 思い出す。
 新一と会えなくなってから、声しか聴けなくなってから。
 ふたりで歩いた道をひとりでたどった。
 そうして、想い出を反芻して、自分の心に、確かに新一がいることを、何度確かめてきただろう。
 夕日を眺めていると、時間を忘れて。
 振り返ると、

 小さな彼がいた。

 今思えば、彼が少し切なそうに笑っていたのは、夕日のせいではなくて。
 いつまでも帰らない蘭を心配しているだけではなくて。

 一番近くで、一番遠くにいた時間を、無駄にはしたくない。
 その想いが、ふたりを深く結び付けていた。



 ふたりが事務所兼自宅の蘭の家の前まで来たとき、ちょうど小五郎が出て行くところなのを目にとめて、慌てて蘭は駆け寄っていった。
 「お、お父さん!今日はずっと家にいるって言ってたのに・・」
 何か急な依頼でもあったのかと蘭が不思議そうにたずねると、
 「打ち合わせだ、打ち合わせ!」
 その声音としぐさはどこかわざとらしく、小五郎は言葉身近にそれだけ言うよ、蘭の後ろにいる新一に視線を飛ばした。

 「・・・・・・」

 「んじゃ、行ってくる」

 そそくさとその場を後にする小五郎を、蘭は驚いて振り返ったものの、

 も、もしかして・・。

 今日、新一を家に呼ぶことは小五郎にも了承を得てのことだった。
 そして。
 今日が新一の誕生日であることも。

 「・・お・・とうさん・・」

 しばらく眼を瞬いて、蘭は小五郎を見送ったままだった。

 「・・蘭・・。おっちゃん、もしかして・・」

 新一も、同じことを考えていて。
 それとなく、小五郎が気を利かせてくれたのに違いないことを察して、ふたりは微笑みあった。
 
 3階への階段を上りながら、
 「ねえ、なんだかほんとうに珍しいよね?新一がこっちにくるのって」
 「そーだな」
 とたわいもない言葉を交わして、
 新一は、近づくその「ドア」に、なぜか改まった心持になった。

 「・・上がって?・・一応、昨日まで掃除もしておいたんだけど・・。あ、いっけない!あんなとこに落としたまま・・」

 運ぶ途中で一枚だけ落としてしまったらしい洗濯物に気がついて、新一を促したあと、蘭はパタパタと足早になった。
 「新一、ご飯食べるでしょ?わたし、準備してるから、適当にしてて?」
 洗濯物を手に、振り返りつつ蘭はそれだけ言うと、去っていった。

 あとには、いつもと違う「ふたりきり」に、若干ペースを乱されている新一。
 確かにここは、他人の家で。
 蘭の家で。
 けれど、それだけでは到底あらわしきれない多くのものを感じて、新一は腰をおろすことなく、部屋を見回していた。



 今日の日のために用意したケーキや料理の下準備がおおむね順調なのを確認して、キッチンで蘭はほっとひとつ息をついた。
 新一はやっぱり誕生日を忘れている。
 けれど、何かは感じているようで。
 どのみち、ここまできたのなら、ケーキも料理も全部整うまで黙っていようと、蘭はちょっと茶目っ気を含んだ笑みをこぼした。
 そうして、唐突におめでとうといったら、あの、いつもはキザでかっこつけで、なんでも自分のことをお見通しな彼が、きっと驚いてくれるような気がして、どうしてもはやる心を抑えられず、キッチンを行き来する足取りも軽く感じられた。



 

 洗濯物を片付けた後、キッチンに引っ込んでしまった蘭。
 どれくらいの時間がたっているのか考えることもなく、新一はじっくりと、改めて部屋を見回していた。

 ・・ここで・・。
 オレ、暮らしてたんだよな・・。
 住んでたんだな・・。

 蘭と。
 おっちゃんと。

 3人で。

 それはなんて奇妙なめぐり合わせだったことか。
 迫る危機、届かない真実への焦り。
 それらを背中に感じていたはずなのに、この家のぬくもりに身をゆだねている瞬間が、いくつもあったことは言うまでもなかった。
 自分の主張を尊重してくれた両親。
 けれど、慣れてしまったからといって、いつでもひとりきりになりたいわけじゃない。
 あの家は広すぎて、元に戻ってからも時々は、思い出したくないものも山ほどあるのに、今となってはそのぬくもりだけが残照となって浮かび上がることも多くて。

 まだ。
 この家、オレの匂いは残っているんだろうか?

 オレであって、オレでなかった
 「アイツ」の匂いは――――――。

 いいようもなく、なぜかほんの少しの切なささえもこみ上げて、こんな気持ちは、こんな表情は、蘭には見せられない。
 心配性だから。
 人の哀しみを全部負ってしまいかねないから。
 そうは思っても、まだキッチンにいるはずだと思うと。
 今、この部屋で想いにふけっているのはひとりだと思うと気持ちが緩んで。
 浮かぶ想いに正直になっている自分に気づく。

 そうして新一は、そっと、自分の後ろに近づいていた影に、いつもなら気がつかないはずの彼女に気づかないで、その場で立ち尽くしていた。 



 足取りも軽く、この間大事そうにもって帰った紙袋を手に蘭が居間に戻ると。
 新一は座りもせず、立ち尽くしていた。

 どうしてだろう?

 その後姿から、新一の想いがまるで滲み出ているようで。
 きゅうっと胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

 新一は強い。
 新一は優しい。
 寂しくても、悲しくても、ひとりで抱え込もうとする。
 そして。
 包み込むように何もいわずに抱きしめてくれる。
 それは不器用な優しさで。
 新一の腕のぬくもりを思い出しながら、蘭は一歩一歩新一に近づいて。

 そっと、その背中に寄り添った。

 瞬間。
 驚いたように新一の体がぴくりと反応したけれど、その温かさに安心したように、無言の返答を返してくれた。

 不思議だと思った。
 新一の胸にある、切なさが伝わって、蘭の視界までもがかすみそうになった。



 「・・新一・・・。・・・・・・・誕生日、おめでとう・・・・・・」

 かみ締めるように、ゆっくりと、言葉をつむぐ。


 「・・・・・・蘭・・・・・・・」

 「・・もう。やっぱり忘れてるんだから・・」
 瞳を閉じて、寄りかかったまま、小さく微笑んだ。
 そうして、ポツリポツリと、言葉を続ける。
 「ねえ・・新一・・。新一、いつも・・言ってくれるよね。『オメーはひとりじゃない』・・って。おんなじだよ?新一も。・・新一だって・・ひとりなんかじゃ、ないんだよ・・?」
 ありきたりな言葉しか口にはできなくて、それでも精一杯の想いを込めて。

 ――――――わたしは、いるよ。

 ゆっくりと向き直ると、新一は蘭をそっと腕の中に閉じ込めた。

 「・・サンキュ」

 瞳の色はいつも、人の心をまっすぐ映し出す。
 その光を見上げて、蘭は新一の背中に腕を回した。

 抱きしめあうと、わかることがある。
 ここだと。
 幸せは、ここにある、と。

 そう、教えてくれる。
 
 つまらない喧嘩もするけれど。
 一緒にいられない時間も多いけれど。
 抱きしめあえるあなたがいるなら。
 抱きしめあえる君がいるなら。
 この心は冷えたりしない・・・・・・。



 優しく、ぬくもりを確かめ合うように抱き合うふたりに照れたように、足元の「プレゼント」がパタンと音を立てて倒れた。






FIN.

2002 Shinichi's birthday






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